ルーマニアの日本大使館に招聘され、書道とダンスのパフォーマンス「生生流転」を演じたことは以前述べた(Vol.5)が、同じアーティスト枠でその前年に招聘されたのがフジコ・ヘミングさんだった。このご縁で2015年、ニューヨークマンハッタンで、彼女のソロコンサートを企画することになった。公演を自主企画したり、招聘された経験はあっても、フジコさんのような有名アーティストのコンサートを企画したことはない。ニューヨークのような都会で、国も違い法律も違う所での開催は、その道に詳しい専門家の力が必要だった。
「なるべく多くの人々に私のピアノを届けたい」というフジコさんの核となる想いを伝え協力者を探した結果、JTB USAに勤務していたU氏と共催で本コンサートを行えることになった。U氏はオペラ歌手でもあり米国でコンサートを行う際のいろはを熟知していた。そこで、会場手配や保険等をU氏にお願いして、フライヤー作成、翻訳作業、印刷、リハーサル室の手配、その他雑用を私が担当した。初めてのことが多く、どうなる事かと思ったこともあったが、日本での夏季学習プログラムを主催・運営(Vol.6,7)した時と同様、裏方で動くことの楽しさを存分に味わう事が出来た。
コンサート当日は受付等を担当した為、ゆっくり鑑賞することはできなかったが、ドア越しに聞こえたフジコさんのピアノは、魂が指に乗り移って鍵盤の上を駆け巡るような、不思議な音だった。枠を持たない、というのはこういうことかと、教えられた。ソロ作品で踊ったことのある、大好きなドビュッシーの「月の光」がプログラムに加わったのはとても嬉しかった。呼吸の取り方が予測できないものの、絶妙な間があり、自分の身体が心地よく反応するのを感じた。
噂に聞いてはいたが、フジコさんはポテトが大変お好きで、フレンチフライ、ベークドポテト等をよく召し上がった。アメリカにはこれといった料理は少ないが、ポテトは付け合わせでも山ほど付いてくるし、どこでも食べられるので助かった。そして、世界中で演奏を重ねており、ソロコンサートを終えても疲れ一つ見せない体力の高さには驚かされた。
2015年3月末、私は6年近く住んだアメリカを離れ日本に帰国したが、帰国直前に、最後の大きな仕事としてフジコヘミングコンサートを企画・主催でき、大盛況のうちに終えられたことは、大変感慨深い思い出となった。