Laban Movement Analysis (LMA) に魅了された私は、大学院終了後、LMAの専門家:CMA(Certified Movement Analyst)になる為、ニューヨーク州ブルックリン市のLaban/Bartenieff Institute of Movement Studiesでトレーニングを受けることにした。動きを構成する要素や考え方を一つ一つ学び、その運動を体現し、議論を重ねる。誰もが、無意識に選んでいる運動パターン(動きの癖)がある為、様々な動きを学ぶ中で、自分が快適・不快に感じるものに気付き、メタ認知を繰り返すこととなる。トレーニングを重ねるなかで、身体からの動きのアプローチがいかに迫力のあるものなのかを益々感じるようになった。CMAは様々な動きの要素やまとまりを言語描写、記譜、体現できるよう、身体・脳をフル回転させて膨大なトレーニングを重ねる。不思議なことに、自身が体現できた動きは人の動きの中にも見出すことが出来るようになる。私は2014年5月にCMAとなり、今は同じ研究所でアシスタントとして指導に関わっている。また、LMAを基盤にした一般向けの個人あるいはグループでの指導も行い、人間の身体運動の奥深さと日々向き合っている。
ムーブメントアナリストはLMAを用いて運動を分析をすることもあれば、LMAを運動のマップの様に使いレッスン等を組み立てることもある。例えば、人の歩行パターンを分析するとき、骨盤と大腿骨のリズムや足の裏と地面の触れ方などの解剖学的視点のほか、上半身と下半身の連動性、使われている運動の質(時間・空間・重さ・流れ)等々、その人のもつ動きの特徴を測定器などを使わずに目で観ていく。時に主要な骨を触り、何が起こっているのか、感覚的に理解を深める。
しかし、重要なのは分析そのものでなく、その先にある考察と提案である。その運動パターンは、機能的に効率的か? 痛みがあるとすればどのパターンが原因か?など考察し、効率的に動くにはどうしたらいいか?痛みが起こる可能性があるパターンをどのように代えていけるか? 等、改善プランを立てていく。運動の質を観るLMAの視点は、ここからここまで何度動いた、という量ではなく、どのように動いたか、を様々な角度から観ていくところに特徴がある。人間一人ひとりが違うように、その運動もそれぞれ異なり、人の身体とその運動に向き合うたびに新しい発見がある。
シンガーやダンサーなどの芸術家には、表現の幅をより広げるレッスンを組む。Vol.3では、"身体に負担をかけない効率的な動きを機能(Function)的に学び、それが強まるほど表現力(Expression)も増すことを学んだ"と述べたが、私の経験・観測上、まさにこの二つのアイディア(機能と表現)は相関関係にある。表現者として、身体運動の側面から、機能的にも表現的にも自身の動きの癖やパターンを知ることで、自分の課題が明確になり、それまでと違った角度で自分自身を見つめ直すプロセスが始まる。また、動きを視覚化して"動きを観る訓練"を行うこともある。例えば、ポーズに囚われがちなヨガでは、ポーズの間にある動きに視点を向けるのに有効である。
一般向けには、自身の腰痛の経験を生かし「寝転びストレッチ」や「腰痛教室」をこれまで行ってきた。ここでは地面と触れる割合が多くなるように床の上で大の字になりながら、まずからだを満遍なくほぐし、その後引き締め(強化)運動をしていく。LMAを基盤に、自身が持っている運動パターン以外の運動を意識的に促すことで、新しいMind-Bodyの繋がりを増やしていく。これにより身体のみならず、脳の活性化が促される。環境や生活様式により特定の運動が無意識に繰り返され、年齢を重ねることでこのパターンはますます強まっていく。従って、受講者の身体運動パターンを分析しながら、彼らが持っていない運動パターンを随時提供していくことが重要となる。
子どもの創作ダンスクラスでも身体と脳両方からのアプローチが大切だ。運動のコンセプトを理解させた上で、それを応用した動き(ダンス)を創らせる。教育としてのダンスを考えるとき、決まった運動概念に偏らず、身体的にも精神的にも、満遍なくバランスの取れた運動の材料を提供する為にも、LMAは有効である。
アメリカで日本舞踊を教えた際、イメージや雰囲気だけでなく、具体的な運動の特徴を言語化できることが、その特徴を理解してもらう上で非常に役に立った。例えば、日本舞踊の女形は直立した鉛筆のような形でいることが多く、これは着物の形と関連している。動きは流れがコントロールされていることがほとんどで、これに重さ(軽重)の要素が加わると、夢心地のような感覚を与える。時に足を踏み鳴らすと同時に動きが加速すると、目が覚めたような感覚になる。このように言葉でその運動を説明できることで、共通理解が得られやすくなる。
最近、歩いているだけで、その身体運動の素晴らしさに感動する。二本足で、この小さな足の裏二つで全身を支え、脳を含めた数十キロ以上のからだを移動させている。考えてみれば、皆初めて立ったとき、歩いたとき、大きな感動があった。身体運動をよく観測してみると一人一人特徴がある。ダンスや演劇の様に、何かを表現をしようとする強い意図を持った動きだけでなく、歩行や小さなジェスチャーにまでその人の特徴が観えてくる。ふとしたときに、コップに手を伸ばす動作や、おいしいものを食べたときに身体も心も膨らむ感覚、小指を怪我したときに、その部分だけエネルギーが滞る感覚・・・等々、私の身体感覚は日々研ぎ澄まされ、人の動きの中にもその感覚を見出している。身体感覚を含め、ものごとや現象の小さな変化にも気付き、感謝できるようになったことは、LMAを学んで得たことの一つである。ルドルフ・ヴォン・ラバンは、Movement is Lifeと言った。動くことは生きること、そして生きることは動くことである。私たちは生きる限り、運動を続ける。その身体・身体運動と向き合うことは、生きることとは何か、と向き合うことにもなるだろう。