東京学芸大学辟雍会20周年企画講演「紫式部と王朝文化」

 11月2日(土)、小雨が降り肌寒く感じる午後でした。キャンパスではテントを張り小金井祭の準備に取り掛かる学生たちが行き交っています。その中で、本学と辟雍会共催の第23回東京学芸大学ホームカミングデーの行事が行われました。今年度は辟雍会20周年特別企画として講演会が本学中央2号館4階S410教室において開催されました。講演は本学名誉教授の河添房江氏による「紫式部と王朝文化」―大河ドラマ『光る君へ』より―」でした。足を運んだ参加者には大河ドラマを見ていて興味関心をもつ年配風の人たちをはじめ、文学を研究している学生たちも多く見られ、このテーマについての関心度の幅広さを感じました。

 

 講演した河添氏は、東京学芸大学附属竹早中学校及び附属高等学校を経て東京大学・大学院で博士課程に進んだのちに本学に着任し、以後ずっと学生の研究を指導してきました。氏の柔らかな口調から会場には初めから温かい雰囲気が漂っていました。それも、講演が始まる前に、氏が運び入れた唐物(レプリカ)など平安時代の貴重な文化遺産を身近に目にして、わくわくした気持ち、高揚感といったものがあったからでしょう。

 

 講演の概要は、この時代になぜ女性文学がこれほどまでに発達したのか、紫式部の人生、その背景にある王朝文化について漢籍や唐物にスポットを当て、また大河ドラマのセットや小道具にも注目しながら、国風文化の時代とはいかなる時代であったのか、掘り下げていく、といったものでした。河添氏は紫式部の生きた時代を概観するにあたって、人物にはドラマ出演の俳優名を付記してわかりやすく説明しました。

 

 この時代は国風文化時代と言われるけれど、実際は漢籍や唐絵が公の舞台では重用され、和歌・仮名は私的な舞台で用いられている。つまり文化の使い分けがなされている。言い換えれば国風文化は「唐風文化の和様化」であるということでした。となると、私たちはなぜこの時代を国風文化の時代と呼んできたのか、ということが疑問となります。これについて河添氏は「894年の遣唐使廃止から唐の文物の影響もうすれたことにより、国風文化に推移した」という言説の影響を指摘します。この淵原は明治期の国民国家に都合の良い言説(自立した日本文化・日本文学)であると示唆します。

 

 紫式部研究者は、大河ドラマの影響によって各方面で話す機会が増えて忙しいと聞きました。そういう中で、河添氏は講演後も辟雍会20周年祝賀会に参加し、会員たちと最後の時まで歓談しておりました。(小澤一郎 記)

 

写真1 展示された平安時代の唐物(舶来品)復元品の紹介

kou_361106_01.png

 

写真2 講演前に展示品を見学する参加者

kou_361106_02.png

 

写真3 唐物の青磁(復元品)について説明する河添房江氏

kou_361106_03.png