現在ニューヨーク州ブルックリン市に住んでいます。2009年に留学の為ニューヨーク州に移ってから丸5年が経ちました。
この連載では、私が関わっている舞踊・身体教育やアメリカと日本の国際交流事業について、米国ニューヨーク州立大学大学院留学時のエピソードも交えながら、お話したいと思います。
小学校教員を目指し、2002年4月に学芸大学初等学校教育選修に入学。元々ダンスが好きで幼少のころからモダンバレエを習っていたが、在学中はストリートダンスサークル"@fter Beer"に所属し、それまであまり縁のなかったストリートダンスに打ち込んだ。教育実習以外は授業の思い出などは薄く(先生方ごめんなさい・・)お世辞にもよく勉強したとは言えない。初めての東京での一人暮らしで羽を伸ばし、他大学のダンスサークルにも所属するなど、とにかく興味のあることに目一杯取り組んだ4年間だった。
卒業後は、歌手のバックダンサーになりたいという夢を追って、ニューヨークへのダンス留学を計画していたが、過った身体の使い方の繰り返しにより軽度の腰椎ヘルニアを患い、その計画は頓挫してしまった。結局卒業後一年間は、身体やそのメンテナンス方法について勉強しながらフリーターとして過ごすことに。この時の腰痛経験がその後の選択に非常に大きな影響を与えることになる。好きな踊りを続けるには腰痛と向き合って行く必要があり、"身体の声を聴く"ということを学び始めるきかっけとなった。
バイトで貯めたお金はリハビリに費やし、身体と向き合う日々が始まった。身体の勉強を始めてみて、もっと勉強を重ねたら腰痛の原因が分かり、また目一杯踊れるようになるのでは、と考えるようになった。骨や筋肉の付き方やその運動、特に背骨に興味を持ち、"身体が動かないのなら頭を使ってみよう"ということでお茶の水女子大学大学院舞踊科に入学。加齢に伴う背骨の可動域の変化について研究する中で、胸椎(胸の骨)の運動の大小が腰椎(腰の骨)への負担に関わっているのでは、と考えるに至ったが、私の腰痛が改善することはなかった。ここで感じたのは、身体運動に関する理論と実践の溝である。頭で身体の構造やその運動を理解しても、体験しない限り生の身体に還元されることはない。私の場合は、研究の目的が自身の身体への還元だったため、この溝を埋めたいと考えるようになった。
卒業が近づくにつれ、海外に出て新しい世界を見たいという気持ちは再び強くなった。元々、英語が使えるようになりたいという思いもあった。そんな中、アメリカの大学院ダンス専攻での理論と実践のバランスが非常に優れているという話を聞き、アメリカの大学へのダンス留学を真剣に考え始めた。「ダンス」「教育」「子ども」の三つのキーワードを軸に留学先を決め、英会話も覚束ないままダンス専攻の実技オーディションを受けに現地に向かった。オーディション当日は1番乗りだったが、順番を待って15番のゼッケンを胸に付け、1~14の数字が並ぶ後に続いた。ソロダンス実技の前に訊かれた"What's your name?"も聞き取れないほどの英語力でよく飛び込んだものと我ながら感心している。怖いもの知らず、とはこのことであろう。体当たりの甲斐があってか、ダンス専攻に何とか合格できた。腰痛に関しては直接解決の糸口はなかったが、一先ず脇において、2009年秋に渡米した。